大泉洋さんが源頼朝?
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝というと「政治家」「真面目」「地味」的なイメージを抱いていたので、ちょっとビックリな配役でした。
同じ三谷幸喜さん脚本の2016年大河ドラマ「真田丸」でも一般的には堅実で生真面目なイメージの強い真田信幸(信之)を真面目な性格ながらもコミカルさも交えて演じていた。
今回の「鎌倉殿の13人」でも今までの頼朝像を「いい意味」で裏切るキャラ設定となっている。
そんな大泉洋さんが演じる源頼朝の性格って、実際の頼朝と比較してどうだったのか?非常に気になったのでリサーチしてみました。
/#源頼朝(みなもとのよりとも)#大泉洋
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源氏のプリンスだったが、一族を平家に滅ぼされ流罪に。伊東家で監視され、長く孤独な生活を送ってきたため、他人には決して本心を明かさない。のちの鎌倉幕府初代将軍。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/2DtGdrvxtC— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 7, 2021
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大河ドラマ「#鎌倉殿の13人」
放送スタートまで あと4日!
\#大泉洋 #源頼朝 pic.twitter.com/vdDHdFrxeC— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) January 5, 2022
源頼朝の性格(ドラマと実際を比較)
嘘をつくのが上手かったのか?
大河ドラマで、北条義時の進言を聞き入れ、態度を明らかにしていない豪族を味方に引き入れるために
「このことは誰にも言うな。実はお前だけが頼りなのだ」
と涙ながらに語り、土肥実平や岡崎義実の手を取り、抱き寄せる。
彼らは佐殿(すけどの)の予想外の態度に歓迎、見事味方に引き入れることに成功している。
一見、三谷幸喜さんの作ったギャグにも思えるが、これは鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」にも出ている事実で、実際に頼朝は豪族を一人一人呼んで同様なことを言っていたようだ。
ドラマでは「嘘も誠心誠意つけば誠になるのだ」と言っていたが、これは「嘘」というよりは「人心掌握術」と言っていいだろう。
劇中では優柔不断で愚痴っぽく掴みどころがない佐殿だが実際はかなりの策士だったようですね。
女好きだったのか?
ドラマでは八重(新垣結衣)と北条政子(小池栄子)の間を行ったり来たり、そして石橋山で破れて房総半島へ逃れた後は第三の女・亀(亀の前=江口のりこ)に手を出したりと、女性関係が激しい頼朝だが、実際はどうだったのか?
八重姫 | 頼朝最初の妻(正室?)、伊豆の豪族・伊藤祐親の娘。頼朝の子、千鶴丸を生むが平家の怒りを恐れた父祐親により千鶴は殺され、自身は江間小四郎に嫁がされる。頼朝が政子と再婚したことを知り絶望のあまり真珠ヶ淵に身を投げて入水自殺する。 |
北条政子 | 頼朝正室、伊豆の豪族・北条時政の娘。のちの尼将軍。頼朝亡き後、弟・義時と鎌倉幕府の基礎を固める。 |
亀の前 | 頼朝の愛妾、良橋太郎入道の娘。容貌すぐれて柔和な性格だったため頼朝寵愛を受けた。それを知った政子は激怒、亀の前の屋敷を打ち壊す。 |
祥寿姫 | 頼朝兄・義平の未亡人、新田義重の娘。頼朝からの申し出を断り、父義重も政子の怒りを恐れて師六郎に嫁がせてしまったため頼朝の怒りを買い新田氏冷遇に繋がったとされる。 |
大進局 | 常陸入道念西(伊達氏初代とも言われる)の娘。頼朝庶子・貞暁の母。政子の嫉妬が激しいため京へ上洛する。 |
丹後内侍 | 比企尼長女(安達盛長の妻)。政子が嫡男・頼家を懐妊した際に給仕を務める。丹後内侍が病になると、頼朝は盛長の屋敷を密かに訪れて見舞っているなど頼朝の近しい関係だったため頼朝との仲を疑われる風説が出た。安達景盛や島津忠久は頼朝の落胤説あり。 |
利根局 | 波多野経家の娘。頼朝の侍女をしていたそうで、子の大友能直(大友氏祖)に頼朝落胤説あり。 |
以上が頼朝の主だった女性関係です。
中にはだたの風聞、伝説だけのものもあります。
こんなに女性関係があるなんてけしからん!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、当時は妾を持つことが常識だった時代で、頼朝の父・義朝や平清盛、政子の父・北条時政も複数の妾がいました。
政子が単に嫉妬深いという説もありますが、北条氏は他の有力御家人と違って弱小豪族出身で基盤がぜい弱なため、北条氏以外の血を引いた頼朝の子が生まれた場合、源氏の家督争いなどが勃発し北条氏の存亡に関わると判断したのでは?とも言われています。
それにしてもどの妾にも激しい行動に出る政子って本当に怖いですね・・・。
優柔不断で大将の器ではなかった?
大河ドラマでは、ほぼほぼ北条任せなくせに愚痴ばかり言う頼朝のことを、坂東彌十郎さん演じる北条時政が「あいつは大将の器じゃねえよ」と言っているシーンがありましたが実際はどうだったのか?
実際の頼朝も実戦はほぼ弟たちや家臣に任せていたが、すべて人任せだったのかというとそれは違った。出陣している家臣らには手紙でしっかり指示を与えている。
また、御家人ひとりひとりの顔、名前、特徴を把握し、適材適所に配置。
「任せる技術」で、御家人の心をひとつにまとめ上げる組織作りに徹した。
また、規律に違反する者には容赦ない厳しい態度で臨み、無断で朝廷から官位をもらった弟の義経や鎌倉御家人に対しては鎌倉に帰ってきてはならないと厳しい態度で臨んでいる。
頼朝は、「信賞必罰」「飴と鞭の使い分け」がしっかりできているのだ。
九条兼実の日記「玉葉」には、頼朝のことを「威勢厳粛、その性強烈、成敗文明、理非断決」、慈円(じえん)の日記「愚管抄」では「ぬけたる器量[才能]の人」と書かれている。
以上のことからも、頼朝が威厳・個性・公正さ・決断力を兼ね備えた優れた器量を持っており、武家の棟梁にふさわしい人物だったことがわかる。
頼朝はヘタレだったの?
大河ドラマではお坊ちゃま育ちを連想させるような「ひ弱」で「ヘタレ」な描写の多い頼朝だったが実際もそうだったのか?
「吾妻鏡」では石橋山の戦いの時に、弓で敵兵を百発百中で次々と射殺したという記載がある。
誇張されている可能性もあるが、それなりに武芸に秀でていたようである。
そういえば「鎌倉殿の13人」でも石橋山で大庭勢と伊東勢に挟み撃ちにされ山中で敵勢と戦いのなり、頼朝が弓で敵兵を数人射殺しているシーンがありました。
まとめ
嘘つきだった? | 人心掌握術に長けていた |
女好きだった | 当時は妾を多数持つのは常識だった |
優柔不断で大将の器ではなかった? | 威厳・個性・公正さ・決断力を兼ね備えた優れた器量を持つ武家の棟梁にふさわしい人物だった |
ヘタレだった? | 石橋山の戦いの時に、弓で敵兵を百発百中で次々と射殺。ある程度武勇に秀でていた。 |
以上が頼朝の性格・人物になります。
「鎌倉殿の13人」ではコミカルに描くために誇張して描かれているのかもしれませんが、実際はかなり威厳のある武家の棟梁にふさわしい人物だったようです。それを踏まえて大河ドラマを観ると、さらに楽しさが増すのではないでしょうか!