NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で岡本信人さんが演じる千葉県の英雄・千葉常胤。
下総国(現在の千葉県北部)の有力豪族で源頼朝に「父同然」と呼ばれるほど信頼され、鎌倉幕府設立に多大な貢献をした。
源平合戦や奥州合戦で軍功があり、奥州から九州までに各地に多くの所領をもらい、「千葉氏中興の祖」と言われている。
常胤の功績に対して源頼朝は正月には必ず常胤の屋敷で新年を祝うほど厚い信頼を寄せた。
「鎌倉殿の13人」では片岡愛之助さん演じる北条宗時が鎌倉に本拠地を置くように進言したように描かれているが、吾妻鏡では常胤が進言したとされている。
そんな千葉常胤についてリサーチしました。
/#千葉常胤(ちば・つねたね)#岡本信人
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再起を図る頼朝の求めに応じ、一族を率いて参陣した下総の大物。頼朝からは「父も同然」と感謝される坂東の重鎮。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/h3wZzvKTy5— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 16, 2021
>>>【NHK大河 鎌倉殿の13人】房総の実力者 上総広常(佐藤浩市)の生涯とゆかりの地を徹底解説!
千葉常胤の経歴
千葉氏は桓武平氏良文流(平良文の子孫)で、平忠常を祖とする房総平氏の系統で「坂東八平氏」「坂東八屋形」に数えられる名門で代々「千葉介」を名乗る。
千葉常胤は千葉(平)常重の子で千葉氏2代目(3代目とも)。遠い遠い親戚にあたる平清盛と同い年。
上総氏とは同族(房総平氏)で上総広常は又従兄弟にあたる。
祖先の平忠常の母は平将門の娘なので広常と常胤は平将門の子孫にもあたる。
誕生 | 元永元年(1118年)5月24日(父・千葉常重、母・鹿島政幹娘) |
9歳 | 大治元年(1126年)父常重が本拠地を大椎(千葉市緑区大椎町)から千葉荘(千葉市中央区と周辺)に移す |
18歳 | 長承4年(1135年)家督を相続 |
29歳 | 久安2年(1146年)父の代に下総守藤原親通に押領されていた相馬御厨(現在の我孫子市、柏市、取手市付近)を取り戻す |
39歳 | 保元元年(1156年)源義朝に従って保元の乱に参戦 |
43歳 | 永暦元年(1160年)平治の乱で源氏が敗れ、相馬郡の支配権を常陸国の佐竹氏らに奪われる |
63歳 | 治承4年(1180年)石橋山の戦いに敗れ安房国へ逃れてきた源頼朝に一族300騎で加勢 |
66歳 | 寿永2年(1183年)上総広常が誅殺され房総平氏の惣領となる |
67歳 | 元暦元年(1184年)平氏追討のため西国、九州へ出陣 |
70歳 | 文治3年(1187年)洛中警護のため上洛 |
72歳 | 文治5年(1189年)奥州合戦で東海道大将軍に任じられる |
73歳 | 建久元年(1190年)源頼朝が上洛の時に後陣を務める |
84歳 | 建仁元年(1201年)3月24日 死去 |
千葉常胤の逸話
<玉藻の前> 鳥羽上皇の寵姫だが、正体は九尾の狐。安部泰成に見破られ、下野で三浦義明、千葉常胤、上総広常らに討たれ、殺生石となった。 1.鳥山石燕『今昔画図続百鬼』「玉藻の前」 2.歌川国貞 pic.twitter.com/7TwQ4SuO6C
— 妖怪・霊獣・異形の神仏 (@riox5555) February 13, 2022
鳥羽上皇の寵姫であった玉藻前(たまものまえ、モデルは美福門院と言われている)という女性が実は九尾の狐で、那須野(栃木県那須周辺)あたりで人をさらうなどの悪行を重ねていたため鳥羽上皇が三浦義明、千葉常胤、上総広常に討伐を命じたという伝説。
このような妖怪退治の伝説に名前が出るほどなので、千葉常胤も武勇に秀でた坂東武者だと都まで知れ渡っていたのであろう。
千葉常胤ゆかりの地
君待橋。
千葉常胤親子が源頼朝を出迎えたという橋の名前。かつては小さい橋があったらしいが、現在はなく、近くの都川に架けられた別の橋にその名前が残っている。
御達報稲荷から旧房州街道を約1キロ北上した、JR本千葉駅近くの交差点に記念の石碑が立っている。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/13zLoUDWho— きゃーま (@42pyonkya_ma) February 18, 2022
亥鼻城址にある千葉常胤像。
「鎌倉殿の13人」では北条宗時が鎌倉を目指すことを宣言しているので描かれないのかもしれませんが、「吾妻鏡」では常胤が頼朝に鎌倉入りを進言しています。https://t.co/X6M9kOjxAM#千葉常胤 #亥鼻城 #源頼朝 #鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/2Mnxd9NtdC— 中世歴史めぐりyoritomo-japan.com/岡戸秀仁 (@SmileOkado) February 16, 2022
お茶の水。
千葉常胤がここで汲んだ水で源頼朝にお茶を出したという湧き水の跡。ただし、当時お茶を飲む風習が広まっていたかは微妙らしい。
君待橋の碑のある交差点を東へ向かった亥鼻城址の麓にある。亥鼻城は千葉氏の城というイメージがあるが、造られたのは室町時代とのこと。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/ZcQBKUEjUl— きゃーま (@42pyonkya_ma) February 18, 2022
御達報稲荷(ごたっぽういなり)。
千葉市中央区稲荷町の旧房州街道沿いに鎮座。
房総半島を北上してきた源頼朝がそろそろ到着するという知らせが千葉常胤に届いたのがここなので御達報稲荷という、と以前公民館の郷土史講座で聞いた。五田保という地名が近くのバス停に残っている。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/JAEMXUP05L— きゃーま (@42pyonkya_ma) February 18, 2022
千葉県にあるいの亥鼻城址です 千葉城とも言われてます 千葉氏の居城として鎌倉時代に築城されました 当然天守閣などなく現在の立派な天守は模擬天守で中は郷土博物館になっていて無料で見るとこができます なかなか楽しめました
遺構としては土塁くらいしかありませんが気軽に城の感じを味わえます pic.twitter.com/WQBqGnlUAS— kawa (@kawazo28) April 25, 2021
猪鼻城(千葉城)
①三郭にある石碑
②三郭には神明社が建つ
③主郭
④主郭土塁#猪鼻城#千葉城
2013年以来。この辺りは初めて見た。 pic.twitter.com/zSZBgQ0uc7— 橘 康長 (@Nakano_bushi) September 25, 2021