【鎌倉殿の13人】小四郎こと北条義時(小栗旬)のネタバレ裏話・逸話をネタバレ紹介!

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2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
主人公は俳優・小栗旬さんが演じる鎌倉幕府の有力御家人で源頼朝の側近で後に鎌倉幕府二代執権となる得宗の始祖・北条義時だ。

源頼朝を助けて鎌倉幕府設立に尽力した功労者である父で初代執権の北条時政、頼朝の妻で頼朝亡き後は「尼将軍」として幕府に君臨した姉・北条政子、武家の初めての法律である御成敗式目(貞永式目)を制定した息子の北条泰時に挟まれ若干影が薄い存在である北条義時だが、頼朝亡き後に実質的に鎌倉幕府のトップに君臨し、幕府vs朝廷の一大決戦「承久の乱」で勝利し後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇を配流し、武士が天皇を退位・交代させるという前代未聞なことをやってのけた。

そんな北条義時の素顔、人物についてリサーチしてみました。

北条義時のプロフィール

氏名 北条義時(平朝臣義時 たいらのあそんよしとき)
別名 江間小四郎
官位 相模守、従四位下、右京権大夫、陸奥守
父/母 北条時政/伊藤祐親の娘
生没年 1163年6月13日~1224年7月1日
兄弟 宗時、政子、時房、正範、阿波局、時子
泰時(得宗・三代執権)、朝時(名越流)、重時(極楽寺流)、有時(伊具流)、政村(7代執権)、実泰(金沢流)、時尚、竹殿、その他

もとの名前は「江間小四郎」?

義時には兄である北条宗時(ほうじょうむねとき)がいたため、自らの所領であった「江間」(江間四郎、または江間小四郎)を名乗るようになった。
そのため義時が北条氏の分家、江間氏の初代とみられている。

その後、「石橋山の戦い」で兄・宗時が討死したため義時が北条氏の嫡子となった。

ちなみに義時が頼朝の寝所警護の一人に選ばれたときは「江間四郎」と名乗っていたようだ。

義時は一目惚れした女性に1年間も恋文を送り続けていた

正室:姫の前
継室:伊賀の方
側室:阿波局、伊佐朝政の娘、他

義時の正室「姫の前」は鎌倉御家人・比企朝宗の娘で、とても美しい容貌の持ち主で将軍・源頼朝の御所で女房(女官)として仕えていた。頼朝のお気に入りだったと言われている。

義時はこの姫の前に一目惚れし、1年ほど姫の前へ恋文を送っていたそうだがまったく相手にされず、見かねた頼朝が仲介、義時に「絶対離縁しない」という誓約文を書かかせ、ようやく義時の正室となった。

2人の間には朝時・重時・竹殿の二男一女が生まれるが、頼朝が亡くなると北条氏と姫の前の実家比企氏との間で権力闘争が勃発。
比企氏が北条氏に滅ぼされると姫の前と義時は離縁する。

その後、義時は伊賀朝光の娘・伊賀の方を継室としている。
伊賀の方は実泰・政村・時尚を生んでいる。

また、三代執権となる北条泰時の母は側室・阿波局(御所の女房と伝わるが出自は不明)

ちなみに義時と離縁した姫の前は、都で源具親と再婚し2人の子供を生んでいる。

北条義時出生伝説

「古今著聞集」では北条義時が「武内宿禰」(たけうちのすくね)の生まれ変わりと記している。

ある人物が石清水八幡宮を参拝したときに夢に現れた神が、武内宿禰の霊を呼び出し「世が乱れようとしている。北条時政の子となって世を治めよ」と言っていたそうで、義時は武内宿禰の生まれ変わりと伝えられている。

北条義時ゆかりの地を紹介

鎌倉殿の13人 大河ドラマ館

「鎌倉殿の13人」
伊豆の国 大河ドラマ館

住所:静岡県伊豆の国市四日町772
開館時間:9:00 〜 17:00
定休日:水曜日(祝日の場合は翌日以降の平日)
※令和4年1月および2月は休まず開館
※令和4年4月29日〜5月8日の間は開館

電 話:055-949-8606
メール:izunokuni@doramakan.jp

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