【足利政氏館跡】甘棠院(埼玉県指定史跡) 埼玉県久喜市にある古河公方の館跡を徹底紹介!

歴史

先日、茨城県古河市の古河公方館跡へ行って参りましたが、今回は埼玉県久喜市(くきし)本町にある2代古河公方・足利政氏(あしかがまさうじ)の居館跡である「甘棠院」(かんとういん)へ行ってきました。

甘棠院(かんとういん)とは

臨済宗円覚寺派の寺院。

2代目古河公方・足利政氏(あしかがまさうじ)は、嫡男である足利高基(あしかがたかもと)と不和になり、ついには権力争いに敗れて下野国の小山城、武蔵国の岩槻城などを頼って逃れていたが、久喜に館を築いて落ち着く。

その後、1519年に自らの館を寺として「永安山甘棠院」(えいあんざんかんとういん)を開山した。

江戸時代になっても歴代徳川将軍から朱印地100石を賜る。

大正14年に埼玉県指定史跡に指定されている。

寺院の敷地には北、西、南の三方に空堀が残っているが、北側は高い塀と竹林に、その他まわりを住宅地で囲まれているのでその他遺構の確認は難しい。

足利政氏とはどんな人物?

 初代古河公方・足利成氏の嫡男で2代目古河公方。

関東管領・上杉氏に対する方針を巡って嫡男・高基(たかもと)と対立(永正の乱)、さらに次男の足利義明が謀反を起こし下総国で小弓御所として独立してしまう。

関東では諸将が政氏側、高基側について各地で戦闘が続発。

結局は高基が政氏を出家させ久喜の館に隠居させることで乱は収束するが、この事件がきっかけで古河公方の勢力は衰退していく。

甘棠院内をご紹介

甘棠院の正面にある総門。両脇には足利氏の家紋である「二つ引き両紋」が!

         総門脇には説明書きの看板がありました。

       総門のすぐ脇に建つ「足利政氏公墓」の石碑。

 

総門を抜けると中門があり、中門の両脇には空堀跡が遺構として残っている。以前は水堀だったとも聞いたが実際どうなんだろうか?

ただゴミが散乱していて歴史ファンとして本当に残念。歴史的に貴重な遺構にゴミを捨てるなんて信じられない。

 

甘棠院の本堂の門。この中に足利政氏の墓があるのだが、内側から鍵がかかっていて中には入れなかった・・・。

足利政氏の墓。本堂敷地内へ入れなかったので後ろから撮影。

文化財

甘棠院には古河公方に関係した数多くの文化財が伝承されており、さいたま市にある県立歴史と民俗の博物館に寄託・寄贈されている。その中で次の文化財が指定文化財・認定重要美術品となっている。

国指定重要文化財

紙本著色伝(しほんちゃくしょくでん)貞厳和尚像(ていがんおしょうぞう)

国認定重要美術品

十三仏版木(じゅうさんぶつはんぎ)

九曜菊散双雀鏡(くようぎくちらしそうじゃくきょう)

◎県指定重要文化財

絹本着色足利政氏像(けんぽんちゃくしょくあしかがまさうじぞう)

 足利政氏所用 縹糸威最上胴丸具足(はなだいとおどしもがみどうまるぐそく)

源氏車紋鞍げんじぐるまもんくら(付 障泥(あおり)・鐙(あぶみ)・轡(くつわ))

道憲作十文字鎗(どうけんさくじゅうもんじやり)

甘棠院へのアクセス

【住所】
埼玉県久喜市本町7-2-18

【電車】

JR・東武久喜駅西口より徒歩15分。

【バス】

久喜駅西口より乗車、「甘棠院入り口」下車。

※車でも行けるが、甘棠院および専用駐車場の場所が初めて行く場合は非常にわかりづらいので、近隣のコインパーキングに駐車してから徒歩で行くことをおすすめする。

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