NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で俳優の佐藤二朗さん(NHK「歴史探偵」所長)が演じる比企能員(ひきよしかず)。
二代将軍・源頼家の外戚として権勢を誇るが、北条氏との権力争いで破れ「比企能員の変」(比企の乱)で滅亡する。
上記、「比企能員の変」で一族が族滅したためあまり知られていない比企氏(比企能員)だが、実は鎌倉幕府成立に大きく関わっている。
そんな比企氏についてリサーチしました。
/#比企能員(ひき・よしかず)#佐藤二朗
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武蔵の有力武士。頼朝の乳母である比企尼の養子。頼朝の流人時代を支え続けた比企尼の献身もあり、頼朝の側近となる。のちに北条と火花散る権力闘争を起こす。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/Fr8U3dcIEE— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 13, 2021
【比企能員役】『#鎌倉殿の13人』#佐藤二朗 出演決定、大河ドラマ3作目🎉https://t.co/GtMtA7fkRj
「歴史の表舞台に立てなかった人物を演じるのは役者冥利に尽きます。精一杯、歴史の裏側、影を輝かせたい」とコメント。
▼佐藤二朗プロフィールhttps://t.co/ng9OQZnk0Ihttps://t.co/GtMtA7fkRj
— エキサイトニュース (@ExciteJapan) November 16, 2020
比企氏とは?
比企氏は藤原秀郷(ふじわらひでさと)の末裔を称する武蔵国比企郡一帯を支配していた豪族。
比企氏の祖とされるのは藤原秀郷の流れを汲む波多野三郎遠光とされる。

引用:東松山市 「比企一族の歴史」郷土学部B斑
比企氏の支配地域比企郡に源義賢(木曽義仲の父、頼朝の叔父)を娘婿に持つ秩父重隆が勢力を伸ばしてきたために、比企氏は義賢と敵対関係にある兄の源義朝(頼朝の父)と結びついたとようである。
比企尼とは?
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では草笛光子さんが演じる比企尼。
武蔵国比企郡の郡司・比企掃部允遠宗の妻で当初は比企局と呼ばれ、夫が亡くなった後に仏門に入り比企禅尼と称する。
源義朝に嫡男・頼朝が生まれると遠宗は乳人、比企局は乳母に抜擢され、共に上洛する。このあたりからも義朝の比企氏への信頼の厚さが窺える。
義朝が平治の乱で敗死すると比企尼と夫の比企遠宗は頼朝が伊豆に流されてから約20年間に渡り仕送りを続け援助するとともに、安達盛長、河越重頼、伊東祐清の3名の娘婿に頼朝に奉仕するように命じている。
また、尼は頼朝だけではなく頼朝の異母弟・源範頼も比企地方吉見で成人するまで比企氏に庇護されたと言われている(範頼も義経同様平家追討で活躍している)。
1180年に頼朝が鎌倉に本拠地を置いた際、鎌倉の中で一等地であった比企ヶ谷(妙本寺)の地を尼に与えたほか、比企一族も頼朝側近として取り立てられ、長年の恩に報いた。
比企能員とは?
比企遠宗が亡くなると、男子がいなかった比企尼は甥の能員を猶子として比企氏の家督を継がせる。
比企能員は比企尼の推挙で頼家の乳母父(めのとぶ、傅役と同じで貴人の養育係のこと)に選ばれる。能員を抜擢したのは流人時代の頼朝を20年間支え続けた比企尼の忠節に報いるためと言われている。
能員は平家追討に従軍。平家滅亡後、上野国・信濃国守護に、奥州合戦では北陸道大将軍、大河兼任の乱では東山道大将軍、頼朝が右近衛大将に任じられたときはそれまでの功績が認められ右衛門尉に任じられた。
さらに比企尼の次女、三女も頼家の乳母となり、能員の娘で頼家の側室である若狭局が長男の一幡を産むと外戚として権勢を振るうようになる。
そして頼朝が亡くなると「十三人の合議制」のひとりに選ばれる。
比企能員の変(比企の乱)
二代将軍頼家が病で危篤になると、頼家の子・一幡と頼家の弟・実朝による家督継承の取り決めが行われる。
一幡・・・東国28か国の地頭・総守護職
実朝・・・西国38か国の地頭職
これに不満を感じた比企能員は若狭局を通して頼家に北条時政追討を進言するが、この密議を障子の影で聞いていた北条政子が父・時政に知らせる。
時政は大江広元の同意を得て比企能員追討を決め、仏事にことよせて比企能員を時政の館に呼び寄せる。
危険だと一族に止められるも、武装するとかえって疑われると言って平服で時政の館を訪れた能員は天野遠景、仁田忠常によって誅殺される。
比企一族は一幡の館である小御所に立てこもるが討手の攻撃を支えきれず、小御所に火を放ち一幡を囲んで次々自害、一幡も焼死する。
能員の嫡子・比企余一郎兵衛尉は女装して逃走を図るが捕らえられ首を討たれる。
比企氏ゆかりの地
この辺りは比企能員の館跡近く。比企禅尼が庵を結んだと伝えられる比丘尼山がある。東松山市大谷。 pic.twitter.com/cux39V4bLv
— 善及 (@jj9hYwZu5Xz2Zck) October 22, 2021
比企能員一族が住んでいた「比企谷」に建つ妙本寺。一族が1203年に権力争いで北条一族によって滅ぼされた後、落ち延びた能員の末子・大学三郎能本が自分の屋敷を日蓮に献上したのが始まり。境内には比企能員一族の墓も。#比企能員 #鎌倉 #史跡 #鎌倉殿の13人 #中の人帰省中 pic.twitter.com/llabx6iqQU
— 京都史跡訪問部 (@takaseriver0318) January 3, 2022
比企能員館なう
①〜③館跡の宗悟寺
④宗悟寺東側の城ヶ谷沼 pic.twitter.com/mnowOHUc9q— 橘 康長 (@Nakano_bushi) October 14, 2019
埼玉県川島町の比企政員館
鎌倉幕府御家人の比企氏の子孫の館。鎌倉北条氏に滅ぼされるも、生き残りの子孫は岩槻太田、後北条、徳川に仕えたという。
①菩提寺・金剛寺の大日堂
②③墓所周辺に残る堀
④比企氏歴代の墓所 pic.twitter.com/Mh6iP20e2S— 橘 康長 (@Nakano_bushi) December 16, 2018
比企遠宗館遠景#ファインダー越しの世界 pic.twitter.com/BUwTG9C3ga
— 与六@カメラ片手に城巡り❕キャンプ🏕❕📷絶景を求む❕ (@yamashiro2017) May 29, 2020
#鎌倉殿の13人
能員の暗殺後、一幡(いちまん/能員の孫。将軍頼家と能員娘の間に生まれた嫡子)のいる比企邸に軍勢が押し寄せ、一族は自害、あるいは討ち取られます。写真は、6歳で命を落とした一幡の袖塚(鎌倉・妙本寺)。
『愚管抄』では時政の謀略とされ、一幡は逃げたものの殺害されたと伝わります https://t.co/m9ge9p7VZw pic.twitter.com/NdiOwhxRGV— 小栗さくら@歴史タレント (@oguri_sakura) September 2, 2021