数々の伝説を残している戦の天才・源義経。 2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場した菅田将暉さんが演じる義経・・・猟師を騙し討ちしする残忍さと、子供のような無邪気さを兼ね備えたマジで「ヤバい奴」でしたね。
義経というと大体「英雄」として描かれている場合がほとんどなので、今回のヤバい義経にはビックリ。
/#源義経(みなもとのよしつね)#菅田将暉
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頼朝と生き別れた弟で、奥州平泉から挙兵に駆け付ける。性格は欠点ばかりだが、戦場では恐るべき才能で次々と奇跡を起こす悲劇の天才武将。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/FbC70cmtBr— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 16, 2021
菅田の演じる源義経の話題になると、小栗は「菅田くんの演じる義経は一緒に演じていて楽しい。底が見えないというか本当に『この人、何を考えているんだろう?』というか」とその魅力を熱弁。大泉も「義経さんは可愛いね。菅田くんだからかもだけど」と菅田の演じる義経を称賛した。
引用:NEWS CAFE
以上のように主演の小栗旬さんは菅田将暉さんの義経を絶賛。
ところで、源義経と言えば兄・源頼朝を慕い尽くすも疎まれ、ついには殺されてしまうという悲劇の英雄として描かれることが多いですが、近年の研究では「鎌倉殿の13人」の義経のように実はかなり性格に難ありな人物だったことがわかってきている。
今回はそんな源義経の実像・エピソードなどをご紹介します。
/#源義経 役・ #菅田将暉 さん
のコメント
\#鎌倉殿の13人 #源氏 pic.twitter.com/Eh6O9K5KNN— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) November 20, 2020
一の谷の戦いで騙し討ちをしていた
一般的には義経の「鵯越の逆落とし」などの奇抜な奇襲により平家の大軍を打ち破ったとされる一の谷の戦いだが、それだけが勝利の要因ではないことをご存知だろうか?
実は合戦前日に平家、源氏双方に後白河法皇から停戦命令が出されていたのです。
「関東方(源氏)にも同様の命令を出している」という話を聞いて安心しきった平氏は停戦命令を律儀に守り、大幅に武装解除してしまう。
そこへ源氏からの奇襲攻撃を受け大混乱に陥り多くの一門が討たれるほどの大敗を喫したのだ。
当時は名乗りを上げてから正々堂々と一騎打ちで戦うのが常識な世の中。
法皇から停戦命令が出されたら休戦するのが当たり前だったそうだが、それらを全く無視して騙し討ちに近い形で平家を破っている。
非戦闘員を狙う
当時の戦では非戦闘員を殺すのはタブーであった。
壇ノ浦の戦いにおいて義経はこのタブーを犯したのである。
壇ノ浦の戦いでは、当初源氏軍は平家の水軍に押されていた。
形勢不利とみた義経は「水夫を狙う」禁じ手を行うのだった。
船の漕ぎ手(水夫)を失った平家の水軍は次第にに追い込まれることとなった。
実は兄・頼朝をバカにしていた?
脳科学者として有名な中野信子さんと歴史学者の磯田道史さんのよると、義経は実は頼朝のことをバカにしていたのでは?という分析をしている。
中野信子(脳科学者)「義経としては自分の軍事的天才と生まれの正統性みたいなところに言い方は悪いけれど胡坐をかいてしまっていて、軍事的な才能に欠ける兄(頼朝)のことをばかにしていたと思いますね」出典:NHK「英雄たちの選択」
磯田道史さん(静岡文化芸術大学教授)「やっぱりそうでしょうね。僕もそうだと思いますよ。ちょっとばかにしている感じがあって、僕、義経ってどうしてこう「報・連・相」がないんだろうと思うんですよ。「報告・連絡・相談」がないんですよ。何を読んでみても、頼朝に「報告・連絡・相談」をこれほどやらない弟っていうのも不思議な話でね。」出典:NHK「英雄たちの選択」
義経が部下にムチャぶり!那須与一の美談の続きが残念
「屋島の合戦」にて平家方の玉虫御前の乗った一艘の舟が差し出した扇の的を那須与一が見事に射落とし、源氏・平氏関係なく称賛した話は有名であるが、この話には残念な続きがある。
那須与一の弓の見事な腕前に平家方の伊賀家員という武将が感極まり船上にて丸腰で踊り出すのだが、それを見た義経が「あの男も射ろ」と命令。伊賀家員にも見事に矢を命中させます。
丸腰の男を射殺したことに平家方は激怒し再び戦闘が開始されたそうです。
実は非力だった義経
義経というと「軍事の天才」という代名詞がつくだけに武勇も優れているイメージが有る。
しかし、実は非力だったという話が残されている。
屋島の戦いの最中、海に弓を落としてしましますが、激しい戦闘中にも関わらず危険を顧みず義経は弓を拾おうとします。
家臣たちは「そんな弓は放っておきなさい」と諌めますが、義経は弓を拾い上げ戻ってきます。
そこまでして弓を拾った理由について義経は「源氏の大将がこんな弱い弓を使っていると嘲笑われたくない」と答えます。
義経は身長150cm前後の小柄な体格だったとのことで強い弓が引けなかったのも納得ですね。
義経は美男子ではなかった?
「平家物語」
義経は色白で背の低い男性で、前歯が出ていた。
「義経記」
源義経は楊貴妃や松浦佐用姫のような美貌の持ち主しであった。
「源平盛衰記」
色白で背が低く、容貌優美で物腰も優雅である
色々な資料でも義経の容姿については評価が分かれるところです。
実際のところはわかりませんが、母親の常磐御前が絶世の美女だったところからも美男子だった可能性も高いもしれませんね。
兄の思惑に反する
頼朝は「長期戦」で安徳天皇と「三種の神器」を安全に確保し、それを材料に朝廷との交渉を有利に進めようという思惑がありましたが、義経がまさかの「短期決戦」で平家を滅ぼしてしまい、結果として安徳天皇は入水自殺、三種の神器のうち剣が海中に消えてしまうという大失態を演じてしまう。
義経ゆかりの地を紹介
八幡神社⛩
静岡県駿東郡清水町八幡に鎮座します。1180年の富士川の合戦の折、頼朝と義経が対面した時に腰かけたと伝わる対面石があります。この時、頼朝が柿を食べたところ渋柿だったため、ねじって捨て、その場所に芽が出て幹を絡ませねじりあっていたので、地元ではねじり柿と呼ばれています。 pic.twitter.com/qXqMN86wcR— 駿河の龍 (@ryusuyama0719) October 8, 2018
【福島県福島市飯坂町/医王寺】奥州藤原氏の一門・佐藤氏の菩提寺。源義経に付き従い討死した佐藤継信・忠信兄弟ら一族の墓所がある。奥州へ落ち延びる途中義経が立ち寄り、兄弟の法要を営んだとも。宝物殿には佐藤氏や義経、弁慶ゆかりの品が。 pic.twitter.com/BRehfk2ZWn
— yukixxx. (@ash_syuki) December 23, 2021
岩手県平泉にある「高館義経堂」です(^-^)兄・頼朝に追われた源義経公は、高館に逃れますが、最後この地で自害したそうです🙏仙台藩主、伊達綱村公が義経を偲んで丘の頂上に「義経堂」を建て、芭蕉がこの地を眺め「夏草や兵共が夢の跡」と詠んでいます🖌️高館より束稲山が望めます😊#高館義経堂 pic.twitter.com/0M7rriVAUv
— 画廊 ギャラリーあさか乃 (@gallery_asakano) July 17, 2021
先日栃木へ行く途中に立ち寄った「静御前」の墓所です。何で埼玉県久喜市に?義経を追って平泉へ向かう途中、この地で亡くなったと伝わります。長旅の末、義経討死の報せに力尽きたとも。静御前終焉の地については候補地多数。ここもその一つ。かつての村名は「静村」でした。 pic.twitter.com/JhRBFBOcPa
— Isuke (@shirononagori) January 18, 2019
神奈川県藤沢市の白旗神社を参拝。
こちらは源義経公を祀る神社で、
境内には弁慶の力石もある。
又、神社近くには義経首洗井戸もありそちらも参拝。
前から欲しかった義経と弁慶が描かれた御朱印帳と御朱印を拝受。 pic.twitter.com/UOOZt1jWyZ— Ñøvá (@XxX_Skull6_XxX) August 3, 2019
白旗神社へお詣りした後、義経首洗井戸へ行ったよ⋆¨̮⑅
義経さまの首塚に手を合わせたあと井戸にそっと近づいてみたよ👀
だけど何だか少しこわくて中を覗いて見ることはできなかったよ😢春になったらこの場所にも桜が咲くのかな?
義経さまにも見えるように綺麗な #桜 🌸が咲くといいな pic.twitter.com/DaZidndCfT— はちみつみるく (@178_honey) March 18, 2019
弁慶塚
藤沢の白旗神社のすぐそばの小山にあります👾
白旗周辺は源義経の縁が深い所で、今は義経を祀る白旗神社に首洗井戸が残ってて、昔は源義経の首塚もあったそう。(宅地造成で均されて消滅。)
そのすぐ側に武蔵坊弁慶のお墓があります。
気晴らしと運動の為、ちょいご近所お散歩してます✨ pic.twitter.com/jlkYwl4fRD
— koji @Vellonica (@nikki_ssk) July 21, 2021