源仲章(生田斗真)人物解説と暗殺理由【鎌倉殿の13人】経歴を徹底解説!

歴史

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で生田斗真(いくたとうま)さんが演じる源仲章(みなもとのなかあきら)。

後鳥羽上皇の院近臣であったにも関わらず、源実朝の側近でもあったことから「二重スパイ」説もある人物。

鶴岡八幡宮で実朝が公暁に暗殺された際に一緒に殺害されたことで名前を知っている人も多いと思います。この源仲章はどんな人物だったのかリサーチしてみました。

源仲章とはどんな人物か?

院近臣の家柄

父の河内守・源光遠は後白河院に院近臣として仕え、兄弟の仲国・仲兼らも院の有力近臣として仕えた。

仲章も後鳥羽院の近臣であったが、早くから鎌倉幕府にも通じていたとされ在京のまま御家人に列し、朝廷と幕府の連絡役や盗賊の追捕などの役目を担った。

阿野頼全を暗殺する

1203年、北条氏の勢力拡大を恐れた二代将軍・源頼家は北条閥の阿野全成を常陸国に配流し、八田知家に誅殺させた。

その際、源仲章は佐々木定綱らとともに全成の三男・阿野頼全を京都東山の延年寺で処刑している。

朝廷・幕府内で急速に昇進

将軍実朝の侍読(教育係)となり鎌倉に下るが、後鳥羽上皇にも仕えていたため、相模権守、弾正大弼、大学頭と昇進を重ね、ついには従四位上・文章博士となり、順徳天皇の侍読にも任命され昇殿を許される。

幕府内においては将軍御所近くに屋敷を拝領、健保4年(1216年)には政所別当に任命され、実朝の政務をサポートしている。
政所別当の序列は、首席の大江広元に次いで二番目で北条義時の上席であった。

これらのことから仲章は朝廷と幕府内での地位はかなり高かったようだ。

源仲章の人物評

歌人として有名な藤原定家は仲章のことを「詩文の際はそれほどでもないが、学識の深さ・広さは秀でている」と評している。

源仲章が暗殺された理由

源仲章は朝廷と幕府の二重スパイだったから?

3代将軍・源実朝の侍読になり、幕府の中枢・政所別当となった仲章だったが、一方でしばしば上洛したり後鳥羽上皇に鎌倉幕府内部事情を伝えるなどしていたようである。

今まで将軍実朝は政治には無関心と伝えられていたが、実は北条氏の傀儡ではなく成長するにつれ積極的に政治に関与していった。

後鳥羽上皇(朝廷)との連携を目指し後鳥羽の要求をことごとく受け入れてきている実朝に対し危機感を募らせた北条義時、三浦義村ら鎌倉御家人たちは、実朝および後鳥羽と実朝のパイプ役である仲章両名の排除に乗り出したとする説もある。

源仲章は北条義時と間違われた?

実朝の右大臣就任拝賀のお供は本来北条義時の役目だったが、突然具合が悪くなり、源仲章に交代。そして実朝と仲章はその後すぐに公暁によって暗殺された。

公暁は実朝を討った後に有力御家人・三浦義村に協力を求める文を出しているところから、元々は実朝と北条義時を狙っていたのでは?という話があり、仲章は義時に間違われた、あるいは巻き添えを食って殺されたと言われている。

余談だが、この都合良すぎる義時の突然の体調不良に関しては、義時には脚気(かっけ)の持病があり、62歳で死去した際の死因も脚気と霍乱(かくらん:激しい腹痛、ときには下痢や嘔吐も伴う)が重なったためと「吾妻鏡」にも記されている。

これを考慮すれば義時に突然の体調不良があったとしてもおかしくはない。

今となっては真相は闇の中である。

源仲章って源氏一族なの?

源仲章も「源(みなもと)」という姓だが、頼朝の一族なのか?

源氏とは、「臣籍降下」した元皇族に天皇が「源」の氏を授けたことにはじまる賜姓皇族(元皇族)である。

源氏と言えば源頼朝の清和源氏(清和天皇の子孫)が有名だが、清和天皇以外の複数の天皇の子孫が同様に賜姓されて源氏を名乗っている。

実は仲章は頼朝とは別系統の宇多源氏(宇多天皇を祖とする源氏)で、平安時代中期の左大臣・源雅信の子孫でにあたる。
源雅信は藤原道長の妻の父で、2024年大河ドラマ「光る君へ」にも登場すると思われる(主人公・紫式部は一条天皇の后・藤原彰子に使えたが、この彰子の父が藤原道長)。

ちなみに「鎌倉殿の13人」に登場した佐々木秀義(演:康すおん、戦国時代に活躍した六角氏、京極氏ら近江源氏の祖)は雅信の4男の子孫にあたる。

源氏を名乗る臣籍降下した家はなんと二十一もあり、「源氏二十一流」とも呼ばれている。

【源氏二十一流】
嵯峨源氏・仁明源氏・文徳源氏・清和源氏・陽成源氏・光孝源氏・宇多源氏・醍醐源氏・村上源氏・冷泉源氏・花山源氏・三条源氏・後三条源氏・順徳源氏・後白河源氏・後嵯峨源氏・後深草源氏・後醍醐源氏・正親町源氏・亀山源氏・後二条源氏

源仲章のゆかりの地

源仲章ゆかりの史跡等を探しましたが一切見つかりませんでした。
将軍の側近を務めたほどの人物なのに墓すら無いとは・・・当時の鎌倉で彼がどう思われていたかを如実に表わしている証拠ではないだろうか。

源仲章のまとめ

●院近臣の家柄に生まれ在京のまま御家人の資格も与えられ、後鳥羽上皇と源実朝の両方に仕えていた。

●幕府内では源実朝の侍読・側近となり政所別当に任命され、京においては順徳天皇の侍読に任命され昇進を重ね、従四位上・文章博士となり昇殿を許されるまでになる。

●後鳥羽上皇と源実朝の両方に仕え、幕府の情報を後鳥羽上皇に逐一報告していたところから二重スパイだったのでは?と言われている。

●将軍実朝暗殺事件で仲章も討たれた件に関しては、後鳥羽上皇の言いなりの実朝と上皇と実朝のパイプ役の仲章を危険視した御家人たちに暗殺されたという説と、元々実朝と北条義時を敵と狙っていた公暁に義時間違われて討たれたという説がある。

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